
私には、
還暦を前にして亡くなった叔父がいる。
父の弟だったけれど、
百貨店勤務で土日も祝日も仕事の父に代わって、
私や妹や同居していた従姉を、
よく色々な場所に連れて行ってくれたり。
小さい頃は父との思い出よりも、

懐かしい写真にも、
圧倒的に彼を中心とした子どもたちがほとんどで、
子ども時代以降も、
私が盲腸になり入院しなくてはいけない時も、
荷物などを運んでくれもした ・・
大学に入り、
3ヶ月まとめた定期券を買いに行ったら、
お財布を落としてしまい、
さすが日本の昔だったため、
すぐに売り場に届けられていて助かった。
が、帰りにバスに乗ろうとしたら、
車に乗った叔父がいて、
母から聞いて心配して、
駅前のバス停まで迎えに来てくれたのだった。
「大丈夫か?本当に見つかったの」
「ちゃんと定期券も買ったから」
駅前から自宅までは結構遠いのに、
送ってくれて、

・・それからは親戚だから、
あれこれと色々あったけれど ー
仕事で多忙な時に母と私に
「あまり長生きしたくないんだ」
などと言っていたのが印象的で・・。
その一年後くらいに、
本当に亡くなってしまい、
母と私は虚しかったけれど、
「・・でも死にたいって言っていたしね」

その後・・
親戚間で面倒な事があったため、
あちらの家では宗派も変え、
全く知らない場所にお墓を作っていた。
私個人はとてもお世話になったし、
その頃の大人の事情なんて、
ハッキリ言ってどうでも良かったので、
一度くらいは墓参に行きたい気持ちだった。
従姉に聞いたら、
仙台なのに結構、分かりにくい場所らしく、
運転が上手く方向音痴でも無い彼女が、
途中、何度か道を変えて迷った話を聞いた。
妹と私は仕方なく、
あちらの方向を向いて、
命日や彼岸、

・・あれから何年経ったのかも、
きちんと数えてはいなかったし、
いつも心のどこかには、
叔父への思いはあったけれど。
最近母の事で忙しく、
春には母の方が亡くなってしまったので、
いまだに半身が無いような感覚で、
叔父へも何も出来ていないのは変わらなかった。
今、母ロスが再燃しダウンがキツく、
昼まで寝ているような毎日だけれど。
誰もいないから文句も言われず、
仕事で街中へ行くのも午後にし、
自分がようやく起きられる時に起きてしまう。
「この体たらくはいつまで続くのかな」
自由なんだか不自由なんだか・・・

太陽が沈めば少し楽になり、
夜に次のブログの話を書いたり、
電話やメールの仕事も夜にするように。
・・その日も、
昼前くらいになってしまい、
洗面所で顔を洗っていたのだけど。
夏辺りよりは少なくなって来た、
唐突な霊の来訪も比例して減ってはいたけど、
誰かの気配のようなものが感じられた。
・・
_(_^_)_ここでおねがいいたします☆


↓そんな冬のとある日・・
