
昨年・・・
父の姉にあたる伯母が認知症気味になり、
大正末期生まれの8○歳だし、
同居家族は従姉の娘なので、
ほぼお互いの毎日の暮らしと
勤務時間とのサイクルが違う・・・
なので、
遠く離れた場所に嫁いでいた従姉は、
介護の手続きを新たにし、
地域のケアマネージャーさんに相談した結果、
少人数制のグループホームへ入る段取りに・・。
それが今年の1月くらいだったかな、
1月、2月はワタシが仕事の忙しい時期でもあり、
そんなこんなであっという間に3月になった。

今さら書くまでもない東日本大震災に襲われ、
伯母や従姉は
被災度合いがかなりマシな場所だったけど、
そちらよりはマシではないワタシと母は、
電気も水道も、当然、ガスも無い、
無い無い尽くしの、
寒い弥生の春を過ごさなくてはいけなくなった。
言い訳のようだけど、
実際、似たような年齢の親がいたし、
家族と近い親族の安否確認、
吉方旅行に東京方面へ行かれた
お客様からの問い合わせなどでかなり煩雑な毎日・・・。
(´;ェ;`)

ワタシ自身が震災うつになってしまい、
伯母へのお見舞は遠退くばかりになってしまった。
・・
伯母は「ノスタルジックなお話」の中にも、
度々書いておりますが・・
家族のやたら多かった昭和の中期に、
結婚したけど、
あちらの家族が伯母の給料をあてにし、
とても苦労したそうだった・・。
※伯母=父母の姉にあたる人の呼称
叔母父母の妹にあたる人の呼称
伯父も叔父もそういう意味合いで使う・・。
が。。
今で言うキャリアウーマン、
昔の職業婦人だった彼女の代わりに、
母が出戻ったその伯母の一人娘を、
ほぼ毎日のように面倒を看ていたことがあった。
そもそも、
そんな伯母が離婚をした訳が、
ワタシの父と母が結婚してしまい、
昔だから東北の小田舎では長男が結婚したら、
長男の嫁が家庭に入ることも多いので、
同居していた
姉なり妹なりは違うアパートに引っ越すとか、
早めに結婚して外に出なくてはいけない・・。

小田舎の昭和の昔なんて、
大体がそんなものだったりする。
急いで見合いし、
急いだために相手をよくよく知ることもままならず、
結局、嫁に行った先で姑に嫁いびりをされ、
伯母は離婚するに至った・・。
さて、また長くなりましたが、
こうした経緯の果てに実家に戻ることに・・。
・・
この辺、面倒くさく、
事業を失敗した祖父が
祖母の実家に転がりこんだもので、
別に誰が戻って来てもどうでもイイ感じがするけど。
が、たまったものじゃ無いのはワタシの母親。
だって、まだ結婚していない
父の姉弟も一緒だったから、
伯母と小さな従姉が加わると総勢8人、
後からワタシと妹が産まれたので一時は10に増加~。

掃除、洗濯、炊事など家事全般に、
週3日のパートタイマー・・
いつも、てんてこ舞いだった母親を、
後から産まれたワタシたちが目の当りにしていた訳だ。
伯母はちょっと変わった人で、
感情の起伏が山谷谷山、山谷・・と、
素直っちゃ素直、激しいっちゃ激しく、
会社でもよくあるように人の数だけトラブルが増え・・・

「ノスタルジックなお話」だけど、
子どもたちから見れば、
大人というものは面倒なものだと感じたものだった。
が、伯母は母が居ないと子育てが出来ない。
今のように保育所だって少ないし、
幼稚園は給食があったけど、
帰宅はやたら早いからだ・・。
祖母は子育てにはかなり不向きだったし。
なので母とは色々と
大喧嘩、小喧嘩はあったけど、
常に従姉は姉のように一緒だったもので、
他の姉弟が
結婚して出て行っても仲は悪くなかったのだ。
・・
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