インターネットで料理購入だ~、
京都・○兆の人気お重だー・・
(T^T)なんつーおせち料理にキャパも無い。
それどころか
地元の著名店のお節料理宅配も、
まだまだ出ていない頃・・
・・嗚呼、昭和30年代・・・
・・で、今日はこんなお話。
・・
暮れもカウントダウン間近になれば、
どの家のお母さんやお婆ちゃんも忙しくなる。
何せ『師走』の語源は、
教師さえ走り回るほどの多忙な時期だからと。
ご他聞に漏れず、
常に祖父母に両親、
伯母と従姉に年下の叔母、
ワタシに妹と総勢九人もいる大所帯・・
暮れには普段、
おっとり構えている伯母さえも忙しくなった。
お正月前の欠かさない行事として、
お祖母ちゃんのアンコ作りがあるのは、
以前に書いた気がするけれど・・
田舎汁粉のような、
粒々アンコなら簡単なのに、
似た小豆をわざわざ更に煮込み、
小豆の皮を取って『濾しあん』を作る作業。
小豆を煮て、また煮て、
更に砂糖を大量に投入しながら煮込んで、
こしあんを作る・・訳ですね~。
これがまた、
寒い中でするからまだ良いけれど、
ご飯を炊くお釜の火と、
煮詰めるのはガスコンロ・・
二大熱いんですけど~!アイテムの前で
四苦八苦しなくちゃいけないから、
暑い夏ならたくさんなハードな作業なもんで。
お祖母ちゃんは自分が好きでやっているのに、
何時間か掛かる
こしあん作りにワタシたち孫を駆り出す。
「お母さん、
どうしてお祖母ちゃんはアンコをこすの?」
「それは、沢山のアンコを食べたいからなんだよ」
(×_×)沢山のアンコ?・・とは。
最初、子どもには分からなかったが、
小豆を煮て皮を取って、
濾しあんにすると、
通常よりもアンコの量がたくさんに増えると。
超、甘いアンコ好きなお祖母ちゃんに、
だから濾しあん作りは年末には外せない・・。
まあ、アンコは本人の趣味だけど、
昭和のお節料理作りは大変だった・・
今のようにセットで、
そこそこ美味しいお重が、
ネット販売で売られている訳でもなく・・
ウチのように、
好き嫌いが家族でそれぞれあると、
メインで最初っからお節料理を担当する、
お母さんは至難の作業と化すのでありました。
・・
「お祖父ちゃん、お餅、
いつもの店に頼んでくれました?」
「はい、大丈夫、○升だね(昔の換算方法)」
お餅のオーダーはお祖父ちゃん、
こまごまとした
食品の補充はワタシたちにも割当てられた。
今は何の面影も無くなったその界隈には、
スーパーマーケットが出現する前の時代で、
八百屋、魚屋、肉屋、の他に、
酒屋を兼ねた食べ物のよろず屋もあり、
それはそれで楽しいものだった・・。
が。。
スーパー・一軒なら主婦には楽チンだけど、
昭和の中期には仕方がない、
お餅から何から、
ある程度のお節計画を立ててメモし、
それに見合った食材を調達して来るという日々が、
大晦日まで続くのでありましたが。
・・
ハトコPのお爺ちゃんが松飾りを用意していた。
あの時代、お爺ちゃんは国鉄(今のJR)で、
駅長の次の助役をしていて、
とりあえず普通に役職があったもので、
ややデカイ木でしつらえた門扉の外には、
地味でも普通の門松が立てられた。
「お爺ちゃんさ、門松出すだけじゃダメなの?」
「コッチの松は、
門とか家の中の扉に飾るんだ、厄除けだね・・」
(T^T)厄除けか、
じゃあ既に厄災だらけのウチには、
もはや要らないんじゃないかと思った。
もともと、ワタシには、
お正月のお節料理の中のきんとんとか黒豆とか、
土台、アンコのお汁粉とか、
お煮しめなどなど、
更にウチ独特のイカの粕漬けなんかは、
どれも嫌いに近かったもので・・
心トキメクような食べ物は、
せいぜい甘くないお雑煮くらいだ。
お年玉は嬉しいけれど、
裏でお返しに苦労する母を見てから、
手放しで喜べる習慣じゃ無いんだなとも感じたりして。
家に帰る途中、
ハトコの鳩小屋にも松飾りが付けてあったので、
クックルちゃんたちの厄払いと思いちょっと笑えた。
・・
m(u_u)m ここでおねがいいたします☆
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バアちゃんが嫁入りで持たせられたという、
三段の漆塗りのお重には、
恭しく地元では有名な蒲鉾専門店の紅白蒲鉾、
その頃から新商品で出たチーズ巻き、
お祖母ちゃんの好物、ド甘い伊達巻、
数々のお煮しめに味付けされたエビ、
ワタシが嫌いなきんとんや黒豆、
数の子などが並べられている・・・
『うへー、どうせお父さんと
お祖父ちゃんの酒の肴になるんだろー』
~などと思ったけれど、
意外と従姉や妹は甘いきんとんとか黒豆、
お汁粉も好きだったみたいで・・
ワタシよりも数段、楽しげな顔をしていた。
「○ちゃん、
にんじんとさやエンドウ買って来て」
どうやらお節料理のトッピングにする、
花形のにんじんと塩ゆでのさやエンドウが不足。
ワタシは違うことをやっている従姉や妹を見て、
仕方なく
買い物がどうして自分に回って来たのか判った。
よろず屋ではなく、
あの、仏教幼稚園の近くに
そのこじんまりした八百屋はあり、
中にお婆ちゃんとまでは行かない年齢のオバサン。
「オバチャン、にんじんとさやエンドウある?」
「今、売れちゃってこれしか無いよ
○ちゃんとこの婆ちゃん面倒だからー」
(T^T)なるほど、
ウチのお祖母ちゃんの小面倒くささは、
八百屋にも発揮されていたか・・
が、買って行かないといよいよ大晦日、
煮しめのトッピングが無ければ、
ただでさえ地味な茶色だらけなので、
ワタシ判断で少し減らして買ってみた・・。
「どさくさ紛れだから、
あまり鮮度とか判らないと思うんだけど」
・・八百屋のオバチャンはわははと笑った。
案の定、
少しくたびれたにんじんとエンドウ豆でも、
料理の仕上げをしている大人には判らなかった。
さて、あっさりと夕飯を食べ、
紅白歌合戦を見ながら、
ようやく年越しそばでもという運びになった。
ウチは変わっていて男性陣はそばだけど、
子どもたちと
伯母たち女性陣は中華ソバにしていた。
昔ながらの醤油ラーメンには、
ゆで玉子にチャーシュー、シナチク、
更にキクラゲまでのせられた・・
こりこりとしたキクラゲに、
紅白ぐるぐるのなると巻きを食べると、
今年も終わりだという
気持ちのカウントダウンが始まる。
紅白歌合戦も後半に近づいて来た時、
台所の方から「あっ」というお母さんの声が、
割りとデカイボリュームで聞こえて来た。
「なると、なると巻きって
ラーメンで全部食べちゃったわ」
ここ仙台では、
お雑煮にはトッピングになると巻きを飾る。
焦るお母さんを目の当たりにし、
アンコ増量で機嫌が良いお祖母ちゃんは・・
「じゃ、Kさんちで少しなると巻き、
分けて貰いに行って来るから」
でも、しかし、大丈夫とか、
母と祖母ががちゃがちゃ言い合っている最中、
Kさんちと聞いて、
ワタシはちょっと心が踊った・・・
二軒隣のその家には、
黒猫がいつも飼われていたからだ。
とうとう、黒猫宅に行くことになり、
当然のようにワタシはお祖母ちゃんと向かった。
「こんばんはー」と、
眠るまで戸締りなんかしていない時代、
Kさん宅の玄関を開けた・・・
Kさんの従姉のお婆ちゃんと
ウチのお祖母ちゃんが話をしていたその時、
チャリンチャリンと
にゃんこらしき物音が聞こえて来た。
・・暗闇の中ににゃんこの目が光った。
「みーちゃん、おいで、コッチおいで」
黒にゃんはワタシが子どもだからと、
いつも位置付けが上で、
バカにしていたのだったが、
珍しくチャリンとこちらに寄って来て、
ワタシの手にじゃれついて来たのだ。
「そっか、お前の家もミンナ忙しいんだね」
おそらくは誰も構ってくれないんだろう、
みーちゃんと少し遊ぶことが出来て、
ワタシは上機嫌になれたのでありました。
・・・猫にはきっと 大晦日でも 変わりなく・・・
「ハルちゃん、なると巻き貰えたよ
半本あるから2日くらい間に合うだろうし」
( 〃▽〃)ワタシは手に黒にゃんの、
柔らかな毛の感触が残っていた・・。
まさかの母のなると巻き喪失事件も、
大晦日のワタシには、
ちょっと嬉しかったりしたのでした・・。
・・嗚呼、昭和の大晦日は更け行く・・
・・
すみませんワタシは占い師
・・・続くかも・・・
。。
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(゜▽゜*)いつも最後までありがとうございます。
今年もあと2~3の記事を残すのみとなりました。
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コメレスなどなど遅れます、すみません。